愛と奇跡の”青空トイレ”
ぐるり360度はるか稜線に囲まれて、道なき大草原をひた走るモンゴルのバイク旅。
島国の民にとっては衝撃的なスケールで、感動のあまり頭の中が空っぽ。
その大地と、特別に蜜な時間を過ごせるうれしはずかしいのひとときが、
1日数回やってくる。朝起き抜けに、あるいは遊牧民にもてなされ馬乳酒でお腹を下してしまったときも、
身を隠せるほどの茂みを見つけてしゃがみ込む私を、草原という名の”青空トイレ”が両手を広げて、
優しく迎え入れてくれるのだ。心静かに大地と向き合い、見えてくるもの。
キラキラと風にさらわれていく砂の粒。遊牧民の命にかわった何かの家畜の頭蓋骨。
私より先に動物たちが落としていった、野草交じりの排泄物。
その傍らに凛と咲き誇るエーデルワイス…。群れを離れた牛が1頭、こちらに歩いてくる。
私はドギマギしながら、待てよと思う。
今私がしていることは、牛さんたちもいつもしていること。
生きとし生けるものはみな、青空トイレでは平等なのではなかろうか?
つまり牛さんも、大地という名のお母さんに生かされている身。
おぉブラザー!ひとり盛り上がって草陰から立ち上がると、やれやれとでも言うように、
牛はさほど驚きもせず、群れへ帰って行ったのだ。
ずいぶんと旅を重ねてきたが、一見まっさらに思える景色の中に、
飾らずありのままであることの美しさがこれほど強くあふれる地を、
私はまだ他に知らない。 (エッセイスト 小林夕里子)